久邇香水
くにこうすい
前皇太后陛下(昭和天皇の皇后)の兄君、久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)がご創作されました。昭和26年より旧宮家の方々を中心に愛用され、育まれてまいりました。
高貴で穏やかな香りは、「和」「礼」を重んじる日本ならではの香水です。西洋の香りが異性を惹きつけるものであるのに対し、香木を使ってきた東洋の香りは、自己の精神作用のために使われるものだと言われます。久邇宮朝融王が作られたこの香水は、日本を代表する香水として、その背景や歴史に裏打ちされている深みが備わっています。
高貴で優雅、そして上質な香りは久邇香水だけのもの。貴方の香りとして、また贈り物として久邇香水をおすすめいたします。きっとお喜びいただけることでしょう。時代を超えて受け継がれている香りをお楽しみください。
久邇香水 No.65(25cc)
最高級のジャスミンがベース。創作当時より久邇香水を代表する香水です。上質で優雅な深い香りは、香水がお好きな方には特に人気があります。
久邇香水メンズコロン(25cc)
上質のジャスミンがベース。知的で理性的な香りです。紳士的な香りが、大変喜ばれています。
久邇香水パウダーコロン(25cc)
上質のジャスミンがベース。優しい香りでどなたにも愛される香りです。シルクパウダーが入っていますのでお肌に直接スプレーします。通常のコロンよりもはるかに香りが持続します。
久邇香水ジャスミン(10ml)
上質のジャスミンがベース。柔らかく豊かな香りです。落ち着いた大人の香りに包まれます。
久邇香水ローズ(10ml)
上質のローズがベース。さりげない優しさを感じる香りです。ばらの香りはストレスを和らげるとともに気分を落ち着かせ、体調バランスを整える効能があると言われます。
久邇香水の歴史
HISTORY
上質な黒い瓶に金色で刻まれた標章。この標章は、旧宮家である久邇宮家の御紋を図案化したものです。久邇の名を冠したこの「久邇香水」は、皇室きっての実業家としても知られていた前皇太后陛下(昭和天皇の皇后)の兄君、久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)がご創作されました。
昭和26年の発売当初、初代イメージガールとして往年の大女優であった原節子さんが務めました。昭和の銀幕女優・宝塚歌劇団の方々の間で大流行した、まさに日本を代表する香水でした。
昭和の往年の大女優「原節子さん」
「久邇香水」初代イメージガールでした。
「司葉子さん」もイメージガールでした。サイン会も行われました。
昭和の大女優「青山京子」さん
発売当時の「久邇香水」売り場の様子。
銀座のデパートにて。
銀座のデパートに売り場を構え人気を博していましたが、その後、海外からの輸入香水が流行し、知る人ぞ知る「宮家香水」として一部のご愛用者の間で伝えられてきました。
私たちは、その一世を風靡した「高貴で優雅な香り」を、今なお守り伝えております。
久邇宮朝融王
くにのみやあさあきらおう
皇族である久邇宮は、明治初期に伏見宮邦家親王の第4子朝彦親王が創立した宮家になります。久邇宮朝融王は1901年(明治34年)に生まれ、父王の薨去を受けて久邇宮家を継承しました。前皇太后陛下(昭和天皇の皇后)の兄君であり、昭和天皇の義兄にあたります。
昭和22年の皇室離脱により、直宮家4家を除く11宮家が皇籍を離れました。そのうちの1つが久邇宮(くにのみや)であり、皇籍離脱後「久邇」の姓を賜りました。久邇宮朝融王から久邇朝融(くにあさあきら)へとなったのです。
離脱後は、現在聖心女子大になっている東京・目黒の邸宅で、昔ながらの趣味であるラン栽培を楽しんで住んでおりました。そんな中、起業精神旺盛なこともあり、複数の事業を始めました。その一つに香水製造・販売があり、旧皇族随一の美男、ダンディーをうたわれた久邇氏らしい商売だと言われたそうです。
販売当初は、銀幕女優をキャンペーンガールとして起用するなど、当時としては先鋭的な宣伝活動でした。日本映画黄金期を代表する女優である原節子さんをはじめ、司葉子さん、青山京子さんなどが一躍を担いました。映画女優・宝塚歌劇団の方々が愛用し、「宮家の香水」として一世を風靡しました。
実業家とも言われた久邇朝融氏は、ダンディーな2枚目で、生前は銀座などで浮名を流したといわれ、1959年(昭和34年)58歳のときその生涯を閉じました。生前の久邇朝融氏を知る皇室ジャーナリストによると「気さくで、ハンサムで上品な人でした。皇族でもあれだけ気品のある人も珍しかった。ちっとも偉ぶらないし、もてる条件がそろっていた」そうです。